【 地金とレジリエンス 】

めごたま大運動会、そして年長さんの稲刈り、これからは薬師山登山やカムロ遠足、収穫感謝祭と秋は行事が盛りだくさんで保護者の皆さんも大忙しのことと思います。特にお母さん方は、お弁当の機会が多く大変だと思いますが、子ども達の喜ぶ顔を思い浮かべながら、楽しんで作っていただければ幸いです。

さて、先月の「相互理解」の中で、悲しくて泣いてしまうことや仲間とのトラブルは決して悪いことではありません。むしろ「子ども同士がお互いをよりよく理解するためには必要な試練」なのですと書かせていただきました。

今月はもう少し詳しくトラブルの持つ意味について考えてみたいと思います。

今、子ども達は大きなイベントである運動会も乗り越え、それぞれが好きな遊びや仲良しの友達を見つけ、安定した生活を送れるようになってきました。その一方でそれまで遠慮していたそれぞれの「地金(本音)」が出てくることによって、今までには見られなかったケンカやトラブルが出てくる時期でもあります。

入園当初、どこか「良い子」の仮面をかぶった子どもたちが、自分本来の姿を出すところから、本当の保育がスタートします。初めは「自己中心的」なわがままな主張で一向に構いません。大切なのは、その子の本当の姿を押さえ込むのでなく、思う存分、発揮させることなのです。そのことを、我々は「地金」を出し切るという言葉で表現しています。

実はこの過程を経ないで大きくなってしまうと問題があります。表面上はとても「良い子」大人の言うことを良く聞く「素直な子」なのですが、実はその子の心の中では、本当の自分自身を出すことができない、抑圧された不満が脈々と蓄積されていきます。「従順の裏に恨みあり」で、それがある時、フッとしたきっかけで強烈な反抗として親や教師に向けられることになります。幼児期に充分に「地金」を出し切ることが出来なかったツケがその後の成長に重大な影響を与えるのです。

幼児期にそれぞれの子どもが「地金」を発揮することで、様々なケンカやトラブルが発生します。このケンカやトラブルを一つ一つ解決していく経験を通して、子どもの中に「レジリエンス(回復力・修復力)」が育っていきます。

「レジリエンス」とは、ケンカやトラブルが原因でこわれてしまった人間関係を回復する力、またはそのことで傷ついてしまった自分自身の心を立て直す力のことです。

ですからケンカやトラブルが起きた時に「あー、困った。何とかやめさせなくちゃ。」ではなく「いいぞ、これはチャンスだ。どんな展開になるのかな。どのタイミングで出ていこうかな。」という捉え方が必要になってくるのです。

小さなケンカやトラブルを私たちは「レジリエンス」を育てるという意図をもって見守り、その後の話し合いを大切にしていきます。逆にケンカやトラブルを大人が未然に防いでしまうと人間関係を修復させたり、長く継続させていく力を子ども達の中に育てていくことができなくなってしまうのです。

「レジリエンス」が育たないまま大きくなってしまうと些細ないざこざで簡単に人間関係を切ってしまったり、こわれた人間関係をどのように回復するのか分からなかったり、そもそも人と関わることすらわずらわしいと感じるような人間になってしまうのではないでしょうか。

幼児期は、子ども達がお互いの「地金」をぶつけ合い、ケンカやトラブルをいくつも体験し、それらを自分たちの問題として乗り越えていく中で、やがて仲間との協力しながら、尚且つ自分自身の思いを発揮していく力を獲得していく大切な時期です。

そして、こども園を卒園する頃には「仲間の中で自らの主体性」を存分に発揮する子どもに育っていくのです。

この本当の意味での「主体性」を獲得するために、私たちは「地金」を出し切ること、そして「レジリエンス」を育てることを大切にしています。

2011.10  園 長  井 上 亘